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錯誤の数数に星の輝きを見つけるためのサイエンスフィクション
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そもそも野球をなぜ野球と呼ぶのだろう。風を感じる野外で行われる球技であったからだろう。東京ドームができた際、野球は野球でなくなったというようなことを千葉茂がつぶやいたと聞いた記憶がある。

野球がなくなってもベースボールは続いている。ベースボールにとって「野」はファクターではなかったのだ。

もっとも、以上の議論は「野」を屋外と捉える感覚を前提としている。それを広い平らな地と考え、屋根の有無を不問に付するならば、野球は東京ドームとも齟齬を来すものではない。

だが野球に限らず、多くの球技は平らな地で行われる。野球のフィールドはずっと広いじゃないか、と鼻で笑われそうだが、どれだけ広ければ野と呼び、狭ければ呼ばないかはあいまいである。ベースボールを野球と称する論拠はやはり弱い。

野球の場合と引き比べて、サッカーを蹴球と呼ぶのは実にわかりやすい。蹴らずにサッカーはできない。ハンドボールは送球と呼ばれるが、中国語では手球であるらしい。それもわかりやすい。試合中に何度も手で球を送り合う。

籠球という呼称の手応えの確かさは、野球と蹴球の中間に位置するだろうか。バスケットボールにおける籠は、ベースボールにおける野よりもずっと、球技の本質に関わっているという印象がある。だがたとえ籠でなくとも、リングだけでもよいとも思われる。

野球は棒球とでも呼んだほうがわかりやすかったのではないか。バットなくしてこの球技は成り立たない。またその道具は明快な形状を有しているから、バスケットにおける籠のような象徴的な役割を付与しやすい。

だが新たな疑問が浮上した。おおロミオではないが、棒はどうして棒なのか。それはより根源的な疑問である。それに使うのはバット(bat)であって棒(stick)ではない。バットを棒と呼ぶのは少少大ざっぱとも思われる。つまるところ、野球は野球であってサッカーではない。それでよいではないかと得心したしだいである。
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